いりなかは緑の街

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ちょっと寄り道にいいかも・・・いりなか
昔ながらのお店や、建物、モダンなショップ、その両方が程よくミックスされて、心地よい街なみを形作った街『いりなか』。
お買い物はもちろん、午後のティータイムを過ごしたり、のんびりと散策を楽しんだり。
気軽な感覚で『いりなか』で寄り道しませんか?
心をほっと和ませるやさしい時間が流れています。
杁中地区というと、大学や高校が多いため、学生街のイメージや文教地区というをイメージをお持ちの方が多いでしょう。
しかし、最近ではモダンな高層マンションが急増し、学生街から住宅街へと変貌しつつあります。
学校関係が多いだけでなく、病院、医院といった医療機関も多いです。
住むのに最適な清閑な雰囲気、あらゆるお店が集まった便利さに加え、隼人池など憩いの場があることや、興正寺さん、香積院さん、多数の寺院があることも自慢です。
昔は市電が走っていました
現在『いりなか』には地下鉄鶴舞線がとおって、とても利便が良いですが、かつての『いりなか』には市電が走っていました。
大久手~杁中~八事間といった区間で運行されていたようです。
Wikipediaによると『昭和36年当時 大久手 - 青柳町 - 安田車庫前 - 宮裏 - 川原通 - 山中町 - 杁中 - 半僧坊前 - 八事』といった路線の記録があります。
他の資料によると、市電が名古屋市営になる前は八事電車と呼ばれており、隼人池あたりにも『池の端』(いけのはた)という駅が存在していたようです。
なお、名古屋市の市電そのものは昭和46年に廃業となりました。
(画像の市電は名古屋市科学館に展示されています)
隼人池の逸話
春には桜の花が満開になり、華やかな風情をみせる隼人池。
かつては、埋め立てられて市営住宅を建設する予定がありました。
それを地域住民のみなさんの要望で公園として残されたそうです。
この池は、正保三年(1646年)に犬山城主・成瀬隼人正正虎(なるせはやとのしょうまさとら)が開削させたと言われています。(隼人池や隼人町の名の由来でもあります)
池の水は、往時には檀渓付近に樋(とい)を架けて山崎川を空中で横断して藤成新田に引かれていたといいます・・・これが杁中の『杁』という言葉につながっていくわけですが。(後筆)
平成元年(1989年)には池の中ほどに浮見堂が完成しました。
今では周辺の人々や学生などの憩いの場となっています。
この池の桜(ソメイヨシノ)は昭和区の銘木に指定されています。
昔の名古屋には池がたくさん存在したようですが、今では鶴舞公園やこの隼人池の他、少なくなってしまいました。
みなさんに愛される隼人池・・・守っていきたいですね。
(写真提供:内藤様)
選抜高校野球の第1回大会開催場所はなんと
例年、甲子園球場で選抜高校野球大会が開催されていますが、その選抜高校野球の第一回大会はなんと滝川町内にあった『山本球場』で開催されていたとのこと。
山本球場は最終的に『JR東海八事球場』と改名され1990年まで存続していました。
その場所には現在マンション『サザンヒル八事』さんが建っています。
マンション敷地内の中庭的な存在ですが八事球場メモリアルパークがあり、本塁があったとされる場所にモニュメントが立っています。
モニュメントの石碑(左写真)には高校野球優勝校名が記載されています。
また、石碑には以下の文章が・・・。
「1924年(大正13年)4月1(日)から5日まで ここ山本球場(当時)で第1回全国選抜中等学校野球
大会が開催された 全国から優秀チームを厳選し 早稲田実業 横浜商業 愛知一中立命館中 市岡中 和歌山中 高松商業 松山商業の精鋭8校が参加 高松商業が優勝した これが選抜高等学校野球大会の始まりである 第2回大会からは阪神甲子園球場に舞台を移した 山本球場は1922年(大正11年)完成 収容人員は2000人 名古屋で最初の本格的球場だった 1947年(昭和22年)社会人野球 チーム名古屋鉄道局(現JR東海)の本拠地となり 国鉄八事球場の名で永く親しまれた この碑は第1回大会当時の本塁付近になる 1992年5月16日 日本高等学校野球連盟 毎日新聞社」 と文字が刻まれた銅版が石碑に設置されています。
ほんの数回だけですがプロ野球の試合も行われたことがあるそうです。
滝川町にも歴史ありです。
なんと南山教会さんは畳敷きだった頃があるそうで
杁中の小高い丘に南山教会さんがあります。
この教会は、1950年、中学校から大学までを経営している南山学園職員さんのための聖堂として誕生しました。
最初の建物はアメリカ軍のカマボコ兵舎を利用し、床は畳敷きで、60人も入ればいっぱいという小さな教会でした。
現在の聖堂は1958年5月に完成しました。
一般の方が結婚式を挙げることもできます。
広く長い階段、美しく茂る木々という素敵なロケーションで新しい人生の出発点とするカップルが多いことも納得させられます。
『いりなか』という町名はあったの?
地下鉄『いりなか駅』やバス停『杁中』はありますが『いりなか』という町名は現在存在しません。
地下鉄いりなか駅一帯には『隼人町』、『滝川町』、『川名山町』、『駒方町』、『広路町』、『五軒家町』、『花見通』、『南山町』、『八事本町』、『上山町』、『山里町』、『楽園町』・・・に囲まれていますが『いりなか町』も『杁中町』もありません。
では『いりなか』という地名はどこから来たんでしょう?
わたくし(ホームページ担当者・・・一応昭和区生まれです)が図書館へ行ったり、書籍を購入したり・・・そしてやっとわかったのが、昭和初期まで、字名として『杁中』が使われていた頃があるということ。
ある書籍に昭和2年に耕地整理事業前の『広路村』の区画図が掲載されていました。
その図の中に『駒方』、『五軒家』、『池田』(現在の隼人町と思われます)、『川名山』、『刺身』(そりみと読みます)という地域に囲まれて『杁中』という字名がありました!
『いりなか』は『広路村字杁中』だったということです。
さらに調べましたら、明治11年の広路村が発足(川名+石仏+伊勝+藤成+五軒家)当時の村内の字名が記載された資料がありました。
そこに『杁中』があることを発見・・・つまり、明治11年(それ以前からかは判らないが)~昭和2年(それ以降も続いたか判らないが)までは『字杁中』があったということですね。
さらに・・・寛永の時代の古地図に『杁中』という文字をみつけました。
細かいことは掲載できませんが、情報が入りましたらここに掲載していこうと思います。
『いりなか』の正確な情報をお持ちの方はいりなか商店街発展会までご連絡下さい!
滝川町にも池があった
滝川町にあるマンション・杁中スカイタウンさんができる前は日本福祉大学さんがありました。
その日本福祉大学さんができるまえは池がありました。(文献・古地図等によると「新池」という名前だったようです)
さらに北東に上った所にも池がありました。(文献・古地図等によると「籠池」もしくは「篭池」という名前だったようです)
高齢の方のお話には聞いていましたが「本当に池があったのか?」と半信半疑でした。
先日、終戦前(戦時中か戦前か不明)の陸軍が撮影した航空写真を見ることができ、池が写っていることを確認しました。
お隣の天白区の植田山あたりにも池が2つ(「上池」「下池」という名前の池です)あることを航空写真で見つけました。(古い地図でも確認済)
この山あいの地区は田畑へ大切な水源だったことがわかります。
航空写真を掲載することは著作権上許可されていないようですので、とても残念ではありますが、国土地理院のウェブサイトを根気よく検索されますと杁中上空から撮影した画像が見つかりますので興味のある方は挑戦してみて下さい。
ちなみに、私(ホームページ担当)は国土地理院(丸の内にある中部地方測量部)で明治~昭和の古い地図も閲覧してきました・・・地図上では池は間違いなくありました。
『いりなか』という地名の由来
昭和区役所の地域振興課が出していた『THE SHOWA』という冊子によると・・・『 「杁中」の「杁」は土手の下に樋(とい)を埋め、池水を通した場所をいいます。昔、この辺りに大きな溜池があり、ちょうど杁の中ほどにあったところから、この地名が付いたそうです。』・・・とのこと。
ちなみに・・・色々と文献を調べていましたら『檀渓』と書かれた絵図がありましたので、下手ではありますがボールペンで模写してみました。(右図)
この絵でわかるように、橋の向こう側に樋(とい)が渡されています。
池から流れてきた水が山崎川を樋で横断する様子です。(藤成新田へ向かっていたという)
この樋が隼人池、新池、籠池(篭池)の『杁』の延長にあったのだと思われます。
色々文献を見ましたが、著者によっては、この樋のことを『杁』と解釈されています。
いりなか駅の付近の地名の由来
各町名の由来をご紹介いたします。(文献資料等より抜粋)
●滝川町: 織田信長の家臣であった滝川一益の由縁の滝川豊後守(たきがわぶんごのかみ)の持山を『滝川山』と言っていたことによる。
●隼人町: 隼人池を開削させた成瀬隼人正正虎(なるせはやとのかみまさとら)から。
●川名山町: 川名村にある山であったことによる。(川名の由来は川原神社に祭神にある)
●五軒家町: 藤成新田ができた当時、ここに5軒の民家があったことによる。
●駒方町: 馬の雪形による地名か。(「か」で終わっていました・・・)
●南山町: 飯田街道の南にある山という説や、隼人池の南にある山という説や、八事山の丘陵地の南に面していたからという説などがある。
●山里町: 耕地整理の際に付近の状況からつけられた。
●花見通り: 山崎川の橋のたもとが花見の見物客で賑わったとことが由来と考えられる。
●上山町: 付近には山が多く、土地の人は北方を上の手、南方を下の手と呼んだことによる。(南に位置する場所に瑞穂区下山町があります)
●楽園町: 楽しく暮らせる土地の意の瑞祥地名。
昔のメインストリート
現在、地下鉄『いりなか駅』の真上を通る飯田街道が『いりなか』のメインストリートですが、北側の弧状の通り(みどり楽器さん~ドラッグスギヤマさんの道)が元々の飯田街道だったようで、真っ直ぐの道はなかったようです。
図書館の文献をいくつか参考に、右の地図を描いてみました。
隼人池以外に2つ池があることもわかります。
市電が最初に杁中にできた頃は、この弧上の道に路線があったようですが、真っ直ぐの道ができ(戦前にできたと思われる)、昭和の中期に市電が移ったようです。
文献資料を参考のうえで推測したところ昭和31年~32年頃に市電は真っすぐの道に移動したと思われます・・・移設工事真っ最中の昭和31年12月の画像が文献資料にありました。
ちなみに、この地図の隼人池の左側の地域が『池田』という地名だったようで、今の隼人町にあたります。
今の『いりなか』地域は昔と大きく変わったということですね。
『いりなか』と周辺地域に関わる年表
こちらの年表は文献資料等より抜粋しております。(年代・名称など諸説あり)
  • 907年(延喜7年) 川原神社 国司祭社として国司の奉幣を受ける(伊勝神社もこの頃に建立か?)
  • 1190年(建久1年) 御器所荘が一条能保の領地となる (御器所の地名の所見)
  • 1338年(延元3年) 尾張、美濃に大合戦『尾張国八事云々』 (八事の地名の所見)
  • 1418年(応永25年) 伊勝八幡宮に『狛犬銘文』あり
  • 1442年(嘉吉2年) 御器所西城築城
  • 1456年(康正2年) 目録に『八事北通段銭』の文字あり
  • 1537年(天文6年) 豊臣秀吉が中村に生まれる
  • 1542年(天文11年) この頃犬山城ができる 
  • 1580年(天正8年) 佐久間信盛、佐久間正勝ともに織田信長の怒りにふれ失脚。御器所城廃城。 
  • 1584年(天正12年) 川名南城、川名北城、小牧長久手の戦いで太平寺とともに焼失。
  •  〃 年( 〃 年) 徳川家康、御器所八幡社に数日滞在。
  • 1584年(天正17年) 東海道五十三次完成
  • 1594年(文禄3年) 成瀬正虎生まれる。 
  • 1596年(慶長1年) この頃塩付街道ができる。 
  • 1609年(慶長14年) 名古屋城が築城される。
  • 1617年(慶長17年) 駿河街道(現飯田街道)が開かれる。
  • 1625年(寛永5年) 成瀬正虎、隼人正に任ざれ成瀬隼人正正虎に。犬山城主に。
  • 1632年(寛永9年) 藤成新田五軒家神明社建立。
  • 1646年(正保3年) 成瀬隼人正正虎、隼人池をつくる。 
  • 1647年(正保4年) 檀渓和尚(白林寺五代)、五軒家に庵を建て衆生済度につとめる。
  • 1659年(万治1年) 成瀬隼人正正虎、川名村の南に新田(藤成新田)~黒印状を持って白林寺の寺領となる。
  • 1663年(寛文3年) 成瀬隼人正正虎没。
  • 1669年(寛文9年) 五軒家神明社、藤成新田の守護神として創建。
  • 1686年(貞亨3年) 高野山の天瑞和尚、八事に小さな庵を結ぶ。(興正寺の端緒) 
  • 1687年(貞亨4年) 味岡山香積院創建。
  • 1688年(元禄1年) 八事山興正寺建立。
  • 1808年(文化5年) 八事山興正寺五重塔完成。
  • 1868年(明治1年) 石仏村と藤成新田が犬山藩となる。
  • 1871年(明治4年) 廃藩県置により犬山県成立。(7月)
  •  〃 年( 〃 年) 犬山県は名古屋県に吸収。(11月) 
  • 1872年(明治5年) 名古屋県を愛知県と改める。
  • 1876年(明治9年) 御器所村と前津小林村が合併し常盤村となる。
  • 1878年(明治11年) 広路村成立(川名村+石仏村+伊勝村+藤成地区+五軒家地区)
  •  〃 年( 〃 年) 駿河町街道を飯田街道と改称。
  •  〃 年( 〃 年) 松永学校、広路小学校と改名。
  • 1879年(明治12年) 常盤村が名古屋に編入し御器所村に改名。
  • 1892年(明治25年) 中央線建設。
  • 1896年(明治29年) 馬車鉄道、古井~広路石坂。
  • 1906年(明治39年) 御器所村と広路村が合併し愛知郡御器所村となる。
  •  〃 年( 〃 年) 飯田街道に馬車鉄道開通。(中路~八事)
  •  〃 年( 〃 年) 須佐乃男神社が現在地に移転。
  • 1909年(明治42年) 御器所村の西部と北部が名古屋市に編入。
  • 1910年(明治43年) 半僧坊主新福寺、現在地に移転。
  • 1912年(大正1年) 八事電車(市電の前身)開通。(電気鉄道 千早~八事)
  •  〃 年( 〃 年) 八事電車、興正寺~八事間開通。(0.5km)
  • 1913年(大正2年) 飯田街道に乗り合いバス運行。
  • 1914年(大正3年) 八事結核療養所創設。(八事日赤の前身)
  • 1915年(大正4年) 市営八事火葬場使用開始。
  • 1918年(大正7年) 市電(東新町~鶴舞公園)開通。
  • 1921年(大正10年) 御器所村が名古屋市中区に編入。
  • 1922年(大正11年) 名古屋電鉄が市営となる。(市電の始まり)
  •  〃 年( 〃 年) 川名山町に八事療養所竣工。
  •  〃 年( 〃 年) 八事球場造成。(山本球場)
  • 1923年(大正12年) 私立中京商業学校設立(5年制)
  • 1924年(大正13年) 八事山本球場で第1回選抜高校野球大会が開催される。
  • 1925年(大正14年) 八事八勝館営業開始。
  • 1930年(昭和5年) 名古屋市営バス開通。(浄心~鶴舞公園)
  • 1932年(昭和7年) 五軒家に社団法人南山中設立。
  • 1933年(昭和8年) 聖霊修道院建立。(八事本町1丁目)
  • 1936年(昭和11年) 私立南山小学校開校。
  •  〃 年( 〃 年) 八事山本球場にて第1回の巨人阪神戦が行われる。
  • 1937年(昭和12年) 東山動物園開園。
  •  〃 年( 〃 年) 八事電車、市電と合併。
  •  〃 年( 〃 年) 昭和区誕生。
  • 1939年(昭和14年) 第二次世界大戦勃発。
  • 1941年(昭和16年) 私立南山小学校を名古屋市に移管。市立八事小学校になる。(小学校が国民学校となる)
  •  〃 年( 〃 年) 日本がマレー作戦と真珠湾攻撃を行う。
  • 1942年(昭和17年) 桜誓願寺が現在地に移転。
  • 1944年(昭和19年) 名古屋市の学童疎開開始。
  •  〃 年( 〃 年) 連隊区司令部が名古屋城から南山中学に移される。
  • 1945年(昭和20年) 名古屋市内に本格的な空襲が数回ある。
  •  〃 年( 〃 年) 御器所小焼失。(1月)
  •  〃 年( 〃 年) 南山中学焼失。(1月)
  •  〃 年( 〃 年) 中京商業焼失。(3月)
  •  〃 年( 〃 年) 川原神社焼失。(3月)
  •  〃 年( 〃 年) 藤成神社焼失。(5月)
  •  〃 年( 〃 年) B29が原爆の模擬弾を昭和区に投下。(7月)
  •  〃 年( 〃 年) 広島原爆投下。(8月6日)
  •  〃 年( 〃 年) 長崎原爆投下。(8月9日)
  •  〃 年( 〃 年) 敗戦。(8月15日)
  •  〃 年( 〃 年) 米軍名古屋に進駐。
  • 1946年(昭和21年) 中京商業、川名山町に移転。
  •  〃 年( 〃 年) 南山外語専門学校開校。
  •  〃 年( 〃 年) 八事学区分離。(広路学区)
  •  〃 年( 〃 年) 聖霊病院開設。
  • 1947年(昭和22年) 国民学校を小学校に改称。広路小学校。八事小学校。
  •  〃 年( 〃 年) 川名中学開校。
  • 1948年(昭和23年) 中京商業学校、中京商業高等高校となる。
  • 1949年(昭和24年) 南山外語専門学校、南山大学となる。
  • 1950年(昭和25年) 名城大学が駒方校舎の使用を開始。
  • 1952年(昭和27年) 川原神社再建。
  • 1953年(昭和28年) 中部社会事業短期大学設立。(日本福祉大の前身)
  • 1954年(昭和29年) 中京短期大学創立。
  • 1956年(昭和31年) 中京大学設立。
  • 1957年(昭和32年) 名古屋~栄に地下鉄開通。
  •  〃 年( 〃 年) 市電八事線、山中~半僧坊間軌道移設完了。
  •  〃 年( 〃 年) 中部社会短期大学が日本福祉大学に改称。
  • 1958年(昭和33年) 滝川町に立花高校設立。
  •  〃 年( 〃 年) 南山教会聖堂完成。
  • 1959年(昭和34年) 立花高校が山里町に移転。
  •  〃 年( 〃 年) 伊勢湾台風。
  • 1964年(昭和39年) 昭和消防署八事出張所開所。
  •  〃 年( 〃 年) 南山大学が現在地に移転。
  • 1965年(昭和40年) 滝川小学校開校。(八事小学校分校から独立)
  •  〃 年( 〃 年) 名城大学が駒方校舎から天白大校地に移転。
  • 1967年(昭和42年) 中京商業高校、中京高校に改称。
  • 1969年(昭和44年) 駒方中学開校。(川名中学から独立)
  • 1971年(昭和46年) 市電八事線、安田~八事間廃止。
  •  〃 年( 〃 年) 愛知県立総合看護学院開学。
  • 1974年(昭和49年) 立花高校が八事表山へ仮移転。
  • 1975年(昭和50年) 昭和区から天白区が分離。
  •  〃 年( 〃 年) 伊勝小学校開校。
  • 1977年(昭和52年) 地下鉄鶴舞線、伏見~八事間開通。
  •  〃 年( 〃 年) 愛知県立総合看護学院が愛知県立総合看護専門学校に改称。
  •  〃 年( 〃 年) いりなか商店街振興組合発足。
  • 1978年(昭和53年) 昭和美術館開館。
  •  〃 年( 〃 年) 隼人池の周辺整備。
  • 1979年(昭和54年) 桑山美術館開館。
  •  〃 年( 〃 年) 南山大学人類学博物館公開。
  • 1982年(昭和57年) 杁中市営自転車駐車場設置。
  • 1983年(昭和58年) 日本福祉大学、知多半島へ移転。(立花高校も同時移転)
  • 1987年(昭和62年) 隼人池公園の『浮見堂』完成。
  • 1992年(平成4年) 川原神社、不慮の火災により一部焼失。
  • 1993年(平成5年) 昭和区役所新築。
  • 2004年(平成16年) いりなか商店街振興組合、いりなか商店街発展会に組織変更。
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